自宅。 水野が帰った夜。ディミトリは詐欺グループから金を奪取する方法を考えていた。 この手の連中の始末の悪いところは、『悪いことをしてる俺かっけぇー』と思い込んでいる所だ。 だから、人の良い老人を騙すことに罪悪感を持っていない。寧ろゲーム感覚で小銭を稼いでいる。 自分たちのような悪に盾突く奴はいないと慢心しているのだ。(だからこそ、付け入るスキが有るんだよな……) そして病的に警察を嫌っている。つまり被害に遭っても届け出をする可能性が低いのだ。(どうやって有り金を頂けるかな……) 具体的な手順を考えている内に眠ってしまっていた。 数日後。ディミトリは柔道教室から帰宅した。柔道は格闘戦で力になるのを知っているからだ。 兵隊だった時には、軍の初年訓練で柔術の訓練をやらされていたものだ。 最初は基本訓練ばかりで嫌気がさしていたが、実戦に出ると随分と役に立っていたのを思い出す。 その記憶があるのだ。後は身体に基本的な事を覚え込ませれば良い。 帰宅して玄関に入ると、居間の方から祖母が誰かと話をしているのが聞こえた。 居間を覗いて見ると電話をしているようだった。「まあ、息子が本を出す予定だったんですか……」「金額は二百万ですか…… 私は出版という物には疎くて良く分からないものですから……」 それを聞いていたディミトリには『ピン』と来るものがあった。「それでは、見本を送って頂けますか?」「ええ…… ええ……」「お願いいたします……」 最近の警察の広報などで『オレオレ詐欺』の啓蒙活動のお蔭で祖母も用心深くなっていたのだ。 先日の水野の件では父親の直筆らしき借用書があったので大人しく支払った。 だが、今回は額が大きいので念を入れたらしい。「はい、わかりました。 それでは見本の到着をお待ちしております……」 祖母はそう言って電話を切った。「何、父さんの借金がまた有ったの?」 傍で聞いていたディミトリが何も知らない風で聞いてみた。「ええ、そうなのよ…… FX投資に関する指南書って本を出そうとしてたみたい……」 祖母は少し思案顔になった。まず、FX投資が分からなかったのだ。「あの子が本を出すなんてねぇ……」「前に来た水野って人がエフナントカで大損してたみたいって言ってたじゃない?」 ディミトリはエフエックス関連に絡めて詐欺を
翌日には本とやらが届いた。普通、出版物は著作者に献本というものが十冊程度配布される。ところが、彼らが送ってきたのは一冊だけだった。 契約書に出版社名は書かれていたが、検索しても出てこない怪しげな会社だった。「…………」 だが、祖母はその本を丁寧に読んでいた。きっと自分の息子を思い出しているのであろうとディミトリは考えた。 すると荷物が届いて小一時間も経った頃。居間の電話が鳴った。 彼らだった。「はい…… はい、届きました……」「その方に二百万円を現金でお渡しすれば良いのですね?」「はい、分かりました……」 彼らは近所にある大きめのスーパーを受け渡し場所に指定してきたようだ。 そこなら場所が分かりやすいからだとも言っている。(防犯カメラの死角を見つけたんだな……) ディミトリは彼らの意図を見抜いてほくそ笑んだ。 自分もそのスーパーはよく知っている。ビデオカメラの購入で利用したことが有るからだ。 屋上が駐車場に成っているタイプの大型スーパーだ。防犯カメラもどっさりと有る。(でも、死角はあるんだよなあ……) 屋上の入り口に向かうスロープと建物の間に、防犯カメラが無い事にディミトリは気がついていたのだ。 普通の人はそんな事は気にもしないが、ディミトリは本能的に防犯カメラの位置を確認してしまう。 正直だけでは生き残れない街で育ったので仕方がない。 そして、彼らはまさにそこを指定してきた。 やはり、似たようなクズ同士なので、意見が合う物だなとディミトリは感心した。(早めにビデオカメラを買っておいて良かったぜ……) ディミトリは詐欺グループの顔を押さえておこうと考えた。その方が後々楽だからだ。 祖母が持っていく紙袋の底に携帯電話を忍ばせてある。GPS装置で位置情報を取得するためだ。 一見すると何のアプリケーションも入っていないように偽装してある。後は上手く行くことを祈るだけだ。 指定してきた時間。ディミトリは落合う場所が見える場所に居た。道路を挟んだ向かい側だ。 そこのガードレールに腰掛けてスマートフォンをいじってる風を装っている。 ビデオカメラは腰のサイドバッグの中だ。穴を開けてレンズだけが露出するように工夫してある。 カメラ本体の操作はスマートフォンで行う。 犯人たちは二人組だった。恐らく『受け子』と呼ばれる係だ。
自宅。 ディミトリは自宅のパソコンに、スマートフォンから送られてくるGPS情報を打ち込んでいた。 スマートフォン上にも地図付きで表示できるが、軌跡が消えてしまうので不便なのだ。 得られた緯度経度情報から、地図上の位置と照らし合わせる為だ。 彼らの行動を考察する必要もある。それは今後の作戦に役に立つのだ。(こういう事は自動化しないとやってられないな……) そんな事を考えながら黙々と情報を打ち込んでいた。 ディミトリはプログラムを組めるわけでは無いが、簡単なスクリプト程度なら作れる。 その内、自動化してしまおうなどと考えていた。(もう少し勉強しておくんだったな……) 学生時代は成績は下の方だった。勉強より運動の方が面白かったせいもある。 それに学校特有の狭い人間関係も嫌だった。地域から集めるので雑多な境遇のものが集まってくる。 金持ちの子供や貧乏が染み付いているような子供まで色々だ。自然と階級が出来てディミトリは最下層だった。 どんなに羨んでも自分はそう成れないと確認させられる毎日は苦痛だった。 そして何よりも机の前にジッと座ってるのが苦手だったのだ。(でも、兵隊になると自分で掘った穴の中でジッとしてる事が多かったけどな……) 兵隊は銃の手入れをしているか、哨戒の為に塹壕などで前方をみている事が多い。 だが、それだけだ。何かを羨ましく思ったり妬んだり蔑まされたりが無かった。 後は、上司の嫌味を聞き流していれば良かったので楽だったのだ。「!」 ボーッと子供時代のことを思い出していたら車が停止したようだ。 国道沿いに変化していた位置情報は、隣市のマンションで停止したのだ。(くそっ、電話からは何も聞こえてこない……) 移動している間に何度か会話を聞こうと試みたが、紙袋にしまい直されたのか盗聴は成功しなかった。(会話から何かしらの情報が欲しかったんだがなあ……)「タダヤスー、夕飯よー」 階下から祖母の呼ぶ声が聞こえる。「はーーい」 悪巧みをしているディミトリの顔から、中学生のタダヤスの顔に戻して返事をする。 良い子ちゃんを演じきるのは中々大変だとディミトリは思った。 夕食を掻き込むように済ませたディミトリは、自分の部屋に戻ってGPS情報の確認に戻った。 だが、夕食後になっても移動をしていなかった。このマンションが連
何日か観察してみないと駄目かなと思っていたが、翌日には簡単に特定出来てしまった。特定できたのは三階の角部屋だ。 金を受け取りに来ていた奴が出入りしているのだ。てっきり役割分担されているので、アジトは違うのだと思いこんでいた。(分業化が徹底していないのか…… やはりアマチュア集団だな) ディミトリは襲撃手順を考えるためにマンションの外側を見て回った。 すると、窓のカーテンが揺れているのを見逃さなかった。窓から侵入出来そうだ。(この構造なら雨樋を伝って登れるな……) これはベテランの空き巣が使う手口だ。 普通マンションなどにはベランダや屋根の排水に使う雨樋が付けられている。それを足がかりにして登る事が出来るのだ。 二階以上の住人は何故か窓から侵入されにくいと思い込むらしい。そして窓の施錠を行わずに就寝してしまう。 空き巣は窓から侵入し、物色した後に窓から帰っていく。玄関は施錠されたままなので、住人は侵入された事に気が付かない。 後で気が付いても、いつされたのか分からないのだ。 もっとも、普通の雨樋は大人の体重を支え切れる程頑丈な作りではない。 だが、今のディミトリの体重であれば大丈夫だろうと推測していた。朝晩のランニングや柔道などの習い事で、筋肉は付けてきている。ディミトリの感覚ではまだまだ軽い方のはずだ。(やっぱり明け方にやるか?) ディミトリは監視カメラの映像を見ながら考えていた。部屋には四人居るようだ。(四人か…… 殺って良いのなら二分もあれば足りるんだが……) 元々、傭兵を生業として生きて来た。命のやり取りに躊躇する事は無い。 寧ろ空気がヒリ付くような接近戦闘は好みの方だ。 だが、未だに勝手のわからない国に居るのに、面倒事に巻き込まれるのはゴメンだとも考えていた。 万が一、警察にバレても殴られただけなら、仲間内の傷害事件で片付けられる可能性が高い。しかし、殺人事件となると捜査する本気度が違ってしまう。 そうなればディミトリの所までたどり着かれてしまう可能性が出てくるのだ。 そういう事態は避けなければならない。それはディミトリの見かけの年齢はタダヤスの十四歳であるからだ。 少なくとも、後四年ほどは平穏無事に過ごさなければならない。 そうしないと一人で外国に行かせて貰えない。あの祖母の性格からしてある程度の年齢は取ら
ランニングの最中。 最近は身体が馴れてきたのか、十キロ程度のランニングならこなせるようになっていた。 体力が付き始めているのだ。筋肉強化も合わせてやっているのですこぶる体の調子は良い。 習い始めた柔道もどんどん勘を取り戻していく。師範から経験があるのかと尋ねられたぐらいだ。(鍛えがいがありそうだな……) スポンジが水を吸い込むように力を蓄えていく、この若い身体がディミトリは嬉しくなっていた。 ディミトリだった時には二日酔いの頭を醒ますのに苦労したものだ。だが、アルコールを摂取する習慣が無いタダヤスには二日酔いは無縁だった。(酒に頼らない睡眠とは、随分と快適なものだったんだな……) 今更な事を考えながら不健康な生活をしていたものだと一人反省していた。 事実、夜中に作戦行動がない時には、アルコールが汗になって滲み出るのではないかというぐらい呑みまくっていたのだ。(元の身体に戻っても続けるべきだな) そんな事を考えながらシャワーを浴び終えると、学校に行くために着替えた。(さて、元の身体に戻る手段を考えないとな……) 勿論、体力作りの他に詐欺グループへの襲撃計画を考えるのも怠っていない。(やはりスマートフォンを改造して盗聴器を作成するか……) 外部から操作するので液晶表示は必要ない。そうすればかなり小型化出来るはずだ。電源は二十四時間持てば良いだろう。 カメラ機能も有効にしておけば不明の面子を解明するのも重要な項目だ。 後は腕時計型のカメラだ。これならすれ違いざまに撮影が出来るはずだ。 それとスリングショット。相手を倒す事は出来ないが足止めぐらいには使える。音が小さいのも良い。 こういった小道具を作成しておく必要を感じていたのだ。 小道具を調達するのには元手が必要だ。 そこで祖母に小遣いを頼んでみた。すると、お年玉通帳という謎の銀行口座を教えられた。 そこには十万に満たない金額が入っているのだそうだ。 この国には年の初めにお小遣いを渡す謎の風習があるらしい。しかも、本人が使えるのでは無く、母親が銀行に預けてしまうという行事だ。中には母親に没収されてしまうという、理不尽な目に遭う奴もいるらしい。(意味がわからん……) それでも、自分の自由に出来る金が有るのは有り難い。有効に活用させて貰う事にした。 格安SIMカードと中古の
ある日、夕方に詐欺グループのアジトを見張りに行った。見張りと言ってもアジトが移転していないか確かめるためだ。 外からチラリと見た印象では、移転はしていないようだ。カーテンというか白い紙のような物が張られたままだ。(今日も変化無し…… と……) 監視カメラを回収して新しいのを設置しようとしていた。「ん?」 ディミトリは一台の車に気がついた。真っ黒な塗装のレクサスだ。(前にも見た記憶があるぞ……) レクサスは高級車だということはネットで見て知っている。特徴的なフォルムをしていたので覚えていたのだ。 ディミトリはハンビー(米軍の兵員輸送車両)のようなゴツゴツとした武骨な車が好きだった。 高級車はお高く止まっている印象が好きになれない。(……) 何処で見たのかを思い出そうとしていた。 基本的に家の周りをランニングするか、柔道場に通う為に街なかに自転車で出かけるぐらいだ。 後は、大型スーパーだろうかと考えていたら、何処で見かけたかを思い出した。(そうか、ランニングの時に道端に停まっていた事があったな……) 高そうな車という印象だけだったので、その時には大して気に留めていなかった。 もちろん、中に誰が乗っているのかは覚えていない。(見張りかな……) 中には男が二人乗っているようだ。 以前に監視カメラを仕掛けた時には居なかったはずだ。見かけていれば今回と同じで気がつくはずだ。(ひょっとして俺が対象なのか?) 監視カメラには触れずに素通りした。彼らの意図も素性も分からないからだ。 わざわざ、此方の手の内を知らせる必要は無いと考えたのだ。 まず、監視をしている対象が何なのかを調べることにした。 ディミトリは楽器店のショーウィンドウを見る振りをして観察してみる。 この手の追いかけっこは少年時代に経験済みだ。二週間ぐらい見張られていたことがあるのだ。 何の罪状なのかは不明だったが、思い当たることだらけだったので大人しくしていた。 そして、何日かすると知り合いを見かける事が無くなった。きっと彼の『仕事』関連で疑いがかかったのだと思った。(麻薬・売春・窃盗・強盗…… 何でもアリのヤバイ奴だったからな……) そんな事を考えながらディミトリがショーウィンドウに映る車を見ている。 彼らの車はジッとして動かない。(あの時に、俺を見張っ
自宅。 ディミトリは考えた末、監視のやり方を変えることにした。監視と言っても、常時張り付いている必要は無い。 詐欺で受け取った金がどうなっているのか知りたいだけだ。 その為にも彼らの日常行動を知る必要がある。 だが、警察と思わしき車両がいる以上は迂闊な行動は控えた方が良いと考えた。 流石のディミトリも、警察の目の前で悪さは出来ないものだ。 何しろ相手は隙だらけの連中だ。いつでも大丈夫だとは思ってはいるが、慎重にやろうと考えているのだ。 自分が見張られているので、監視カメラの回収が困難な事をどうにかしないといけない。(盗聴器を仕掛けるか……) そこで盗聴器を深夜に設置することにした。 携帯を改造したやつなので、一時間毎にデータ送信で回収すれば良いからだ。 必要な機能以外は、全て停止しているので一週間程度は持つはずだ。 深夜、自宅の裏からコッソリと抜け出した。警官の巡回に出くわさないように、慎重に自転車でアジトの裏まで来た。 濃い灰色のスウェット上下なので怪しまれないだろうと考えていた。 いざと成ったらトレーニングの為に公園に向かうのだと言い訳するつもりだった。 何しろ童顔の十四歳なので通じるだろう。(さてと……) 周囲を見回して監視されていないのを確認してから徐に壁に取り付いた。 取り付いた壁の雨樋を伝って登っていく。 目標は三階のベランダ。二分もあれば登りきれる。 ディミトリは手慣れた調子で登っていく。自己の技術と体力で岩を登るフリークライミングは兵士には必要な技術だ。 訓練を行っていないタダヤスの身体で大丈夫なのか、懸念はあったが大丈夫なようだ。(よしよし…… 優秀な兵隊に成れるぞ……) そんな事を考えながら目的のベランダに取り付いた。 ディミトリは直ぐにベランダに入ることはせずに部屋の中の様子を窺う。 人が移動する気配が無い事を見届けると手早くベランダ内に侵入した。(寝てるのかな?) ディミトリは盗聴器を取り出し取り付けの準備を始めた。 マイクは透明なチューブで先端に付けてある。太さが一ミリ程度なのでパッと見は何の部品なのか不明なはずだ。 それをクーラーの室外機から伸びるパイプ配管の穴の中に挿入させた。 こうすれば、室内の音が直接拾えるし、盗聴器の存在に気が付かないはずだ。(よしっ、完了した……)
(ひょっとしたら偶然だったのか?) 偶々同じ車種が居ただけなのかもしれない。或いは二十四時間監視の対象に成っていないのかもしれない。(いや、二回同じ車両を見かけたのは偶然ではない……) ディミトリは慎重な方だ。慎重だったから幾多の戦場を生き残って来たと言える。 臆病なのと慎重なのは違う。失敗から原因を推測して、次の行動のための糧にするのだ。 それが出来ないやつは全て死んでしまった。(俺はまだ死ぬ予定じゃないからな……) 盗聴器を仕掛け終わったディミトリは、次の懸案事項に対する方策を考え始めた。 誰に見張られているのかを確認しなければならないからだ。 その為には問題の車が警察なのかを確認しなければならない。 朝になって普段どおりのランニングに出かけた。そして、以前に黒い不審車を見かけた地点に差し掛かると、前に見たのと同じ場所に停車しているのが見えた。(夜はお休みなのか……) 昨夜、見かけなかったので夜中は監視してないらしいとは思った。 もっとも、見つかっていたら彼らも判断に悩んだに違いない。(ではでは、ちょっと誰なのか調べさせてもらいますよー) 後ろからそっと近づき、後輪タイヤハウスの裏側に携帯電話を貼り付けた。ここが見つかりづらいのは経験済みだ。 ディミトリは警察関係の車であろうと目星を付けていた。 警察署は二キロほど走ったところにある。あそことの往復であれば、後日回収できるだろうと考えていた。(若い男と中年の男…… きっと同じふたり組だな……) 以前にアジトの近辺で見かけたのと同じ二人組だ。ディミトリのランニングコースを見ている。 あの時は遠目で見るしか無かったが今度はしっかりと顔を覚えた。 その後、ディミトリはいつの通りの道筋でランニングを終え帰宅した。帰りにも問題の車は見かけた。 もちろん、気が付かない振りをするのは怠らなかった。こっちの手の内を見せてやる必要はないからだ。 帰宅してから二階の窓から双眼鏡で周りを見ると、二ブロック先の交差点に問題の車は停車していた。 そして、ディミトリが帰宅後三十分ぐらいで車を発進させていた。帰るのであろう。「よしよし、車に携帯が仕掛けられたのは気が付いていないな……」 パソコンに映る携帯の位置情報はディミトリの期待通りの結果を表していた。 携帯が発する電波はディミト
「要するに大串のフリをして、売人に金を渡せって事か?」「ああ」「結構な金額になるだろう」「ああ、金なら用意する……」「……」「二百万程度だ。 俺の小遣いでどうにでも出来る」 ディミトリは自分の境遇が馬鹿らしくなって来るのを感じていた。二百万程度と言い切る中学生がいるのに、こちらは小遣いをやりくりしながら凌いでいるのだ。「タダじゃやらないぞ?」「十万くらいならお前にやるよ」 ディミトリは目を剥いてしまった。どこの国でも金持ちのボンボンは価値観が違うものだ。 まるで違う世界に生きているようなのだ。 それでも、ディミトリは引き受けるつもりだ。(そうか…… その売人をどうにかすれば、二百万が手に入るのか……) ディミトリは密かな企みを思いついていたのだ。 薬には興味無いが、金には大いに関心がある。何故なら渡航費用の一部に出来る。「金の受け渡し場所はどこだ?」 大串は川沿いにある倉庫を言ってきた。使っていた会社が潰れて無人なのだそうだ。 ディミトリはスマートフォンで地図アプリを呼び出して場所の確認をしてみた。周りに人家は無く、中小の工場が多い場所だ。 きっと、夜間には無人になっている事だろう。「それで金の渡しはいつやるんだ?」「今夜だ」 随分といきなりの予定でディミトリは面食らってしまった。「それは駄目だ。 俺には用がある」「え?」「塾が有るんだからしょうがないだろ」 もちろん嘘だ。ディミトリは受け渡し場所の下見に行くつもりなのだ。 行き当りばったりで実行しても、上手くいかないのは知っているつもりだ。これまでにも散々痛い目に遭っている。「金額が大きいから引き出しに時間が掛かると言えば良いだろ?」「ああ、分かった……」 今度は武器も有るし下準備の時間も有る。上手く行きそうだった。 大串との会話を終えたディミトリは教室に戻ってきた。大串たちはディミトリが代役を引き受けたので安心したようだ。 何度も礼を言ってきた。(乱暴者を装ってもヤクザ相手はキツイって事か……) そんな事を考えながら教室に入っていく。するとクラスメートの田島人志が話しかけてきた。「よう、まだモデルガンの空き箱探してる?」「いや、飾りたかっただけだから足りているよ」「いつでも言ってくれ、新しい奴は取ってあるからさ」「ああ、分かったよ。 あり
「それでクスリの売上が無くなったから、地廻りのヤクザへの上納金が用意出来ないと激怒してるんだよ」 薬物の販売はどこの国の犯罪組織にとって主要な収入源だ。自分の縄張りで商売を許す代わりに、上納金を要求するのは当然であろう。 そして、彼らは上納金の滞納は決して許さないものだ。必ずケジメを要求される。最悪の場合は自分の命だ。 だから、売人は激怒しているのであろう。「お前さんの彼女なんだろ?」「ああ、だから何とかしてやりたいんだけど……」「けど?」「俺の兄貴が警官やってるんだよ」「だから、それがどうした?」「揉め事を起こすと兄貴に迷惑がかかっちまう……」「お兄ちゃんが好きなんだ?」「ちょ。 か、か、関係ねぇよ」 大串が顔を真っ赤にしてしどろもどろに成ってしまった。ディミトリはニヤニヤしている。「お前の子分にやらせれば良いじゃないか?」「コイツラは顔が知られているから使えない」 大串は彼女を迎えに行く時に、自分では無く子分に行かせたのだそうだ。 その時に、クスリ云々を聞いてきたのだそうだ。「いや、若森ならこの手の話に慣れているような気がしてな……」「何で、そう思うのよ…… 俺は品行方正な男子中学生だぜ?」 ディミトリはすっとぼけた事を言い出した。 元々、中身が三十五歳という事も有り、中学生とは話が合わないので関わらないようにしていたのだ。 だから、真面目な中学生のふりをしているのだった。「お前が家に来たことが有っただろ?」「ああ」 追跡装置の所在を確かめる為に、大串の家を利用させて貰ったのを思い出していた。 上半身に有るのか、下半身に有るのか分からなかったからだ。 軍に居た頃なら検査機器で直ぐに判明する。だが、今はそうではない。 ディミトリは知恵と工夫で事態を乗り切って来たのだ。「あの後に警察が家に来て、お前のことを根掘り葉掘り聞いていったぞ?」「へえ」「何やったんだよ」「お前には関係ない。 俺の事には構うなと言ったはずだが?」「品行方正とやらの中学生を、警察が調べるわけがあるかい」「……」 大串は屋上のフェンスまで行ってディミトリを手招きした。 ディミトリが大串が示す方向を見ると白い普通車が停まっている。中には二人組の男が座っていた。 ポケットからスマートフォンを取り出し、カメラ機能を使ってズームアッ
「まあ、似たようなモノらしい……」 ディミトリに現実を突き付けられた大串は俯いてしまった。彼にも思う所が有るのだろう。「そんな事をやってるとは知らなかったんだ……」 大串が言い訳を付け加えてきた。(まあ、普通に考えてパパ活やってますなんて彼氏に言う奴はいないだろうな) そんな事を考えながらディミトリは返事に困ってしまった。 売春をやめさせたいと言われても相談にはのれないからだ。(それに、自分の彼女が売春をやっていたなんて事は信じがたいもんだよな……) だが、ディミトリは自分が呼ばれた訳が分からなかった。 他人のカップルの痴話喧嘩なんぞに興味が無かったからだ。 そもそも大串にも興味が一片の欠片も無い。「で?」 早くも教室に戻りたくなってきたディミトリは話の続きを促した。「それで、新しく引っ掛けた相手がクスリの売人だったみたいなんだよ……」 日本の学生というのは向こう見ずな所が在るらしい。 初めて合う相手に何の準備もせずに会いに行って、そのまま殺されてしまうという事件が時々マスコミを賑わせたりしている。(まあ、学校も親も教えないからなあ) 日本の教育というのは道徳を教えるが危険を教えない。 だから、何が危険なのかを知らずに育ってしまうのであろう。(それしても何でケツ持ちも置かないで危ない商売するかなあ……) 外国の売春婦は個人で営業する事が無い。客はスケベでどうしようもないクズだと知っているからだ。 客との間に揉め事が起きた時には、解決するための手段を持ち合わせている物だ。 そうしないと簡単に殺されてしまう。 危ないことをしたがる変態も多いし、殺しそのものを楽しむ狂人も同じ数だけ居るのだ。 だから、地元のマフィアに用心棒代を支払って身を守る。 厳しい現実を生き抜いていく為の知恵である。「それで、クスリをかっぱらおうとして、ブツを駄目にしてしまったらしい」 きっと、相手の男が自分を大きく見せようとして見せびらかしたのであろう。 チンピラなどに良くいるタイプだ。 実力以上の器を示して自分の虚栄心を満足させるのだ。 そして、女の方はそれを見て邪な考えに至ったという感じであろうか。 ディミトリは話の続きを聞いてズッコケてしまった。「えーーーーっと……」 突っ込みどころが多すぎて迷ってしまったのだ。 薬を売り捌
自宅。 追跡装置取り出しの手術が終わって数日は普通どおりに過ごしていた。監視の目がどこに在るのか不明だからだ。 朝、学校に行って体力づくりをして飯を食って寝る。普通の中学生を演じているつもりだ。 追跡装置は腕時計風にしておいた。日中は身につけておいて、追跡装置の存在に気が付いてない振りを装う為だ。 ある日の朝。学校に行くと大串たちが集まって何やらひそひそ話をしている。 ディミトリが通りかかるとピタリと止まったので、きっと良からぬ相談でもしているのであろう。 ディミトリは目の端で見えていたが無視をしていた。 午前中の授業が終わり昼休みになると大串の子分のひとりがディミトリの所にやってきた。「ちょっと屋上まで付き合ってくれ」 彼は何やら思いつめた表情ながらも、ぶっきら棒にで言ってきた。どうやら彼は、ディミトリと会話するのが苦手なのだろう。 顔にそう書いてあるような態度だったのだ。(まったく、懲りない連中だ) 朝の大串たちの様子からして、また喧嘩を売りに来たのだとディミトリは解釈したのだ。 子分の後に続いて屋上に出る階段を上る。 こういった設備は施錠されているはずなのだが彼は屋上へと通じる扉を開けた。 鍵を持っているか、或いはこじ開けたのだろうと考えた。(まあ、人目を気にしているのはお互い様だけどな) 開け放たれたドアの外に大串は居た。 大串は屋上の真ん中で仁王立ちしていた。虚勢でも張っているのであろう。「で、なんの用だ?」 ディミトリは大串に尋ねながらも、周りに気を配っていた。注意を引き付けながら後ろから襲いかかるのは常套手段だ。 相手が厄介な奴の場合、ディミトリならそうするからだ。 子分の一人は、階段の入り口を見張るように残っている。大串の側には一人しかいなかった。「お前に頼みがあるんだ」 だが、大串の口から出てきたのは意外な一言だった。「え?」 大串たちはディミトリに喧嘩では無く、相談があって呼び出したようだった。 頭の中でどうやって迎え撃つか、シミュレートしていたディミトリは拍子抜けしてしまった。「実は俺のツレが揉め事に巻き込まれてるらしいんだよ……」「誰?」「いつだったか本町のカラオケ屋ですれ違ったじゃないか」 ディミトリは追跡装置の確認の為に行ったカラオケ屋を思い出した。その時に大串が誰かと一緒だ
前回、気を失ったのは強烈な頭痛の時だ。痛みが限界を超えると気を失ってしまうようなのだ。 距離が離れているとでも言い訳しておけば良いだろう。(クラックコアとやらと関係が有るんだろうな) そう言えば前回の検診の時に、頭痛の事をやたらと聞きたがっているのを思い出した。随分と不審に思ったものだ。 今、思えば関係者であるのだから当然だったのだろう。 脳に色々と小細工するのは、人類にとってはまだ手に余るに違いない。鏑木医師が死んだのは色々と残念だった。(この失神する問題は早めに対処しておかないと、その内拙い事になるな……) 原因と対策がどうしても必要なのだ。ディミトリは違う病院へ変えようかと考え始めた。 それと同時に帰宅してから、痛みに耐える訓練方法を探そうと決めた。(後は追跡装置をどう使って一泡吹かせてやるかだな) アルミホイルに包まれた追跡装置を手に持ちながら思った。 腕から取り出した追跡装置は壊さないでおく事にしている。こちらが追跡装置の存在を知っている事を悟られない為だ。 それは、万が一の時に囮に使えると思っているからだ。「まあ、問題のひとつは解決できたかな……」 ディミトリは自転車に跨って家路についた。 翌日から痛みに対する訓練もメニューに加えた。しかし、思いの外に手術跡の痛みが酷かったが我慢していた。 医学生と言っても、まだ素人に怪我生えた程度だ。病院で行うのとは訳が違う。熱が出なかっただけでも幸運であろう。 ネットで検索した訓練メニューを試してみたが、結果は期待通りには中々いかなかった。「ネットだと痛みは無視できるようになると書いてあったけど……」 痛みは防御のメカニズムとして機能している。所謂、生存本能の事だ。痛みを伝えることで、生存が脅かされていると知らせる為にある信号なのだ。 つまり、痛みの伝達を阻害することが出来れば、痛みを無視出来るようになる……はずだ。 ディミトリは痛みに注意が向かないよう、気を紛らわせる事が出来る訓練を模索していた。「痛いもんは痛い……」 痛みは動揺や不安や絶望といった感情を呼び起こしてしまう。それを正反対の感情、つまりユーモアで置き換えてしまう方法がある。 アメリカの学者が行ったひとつの実験がある。痛みを耐える実験を行ったのだ。一つのグループにはコメディを見せながら実験を行い、もう
アオイの部屋。 ディミトリはボンヤリという感じで目を覚ました。 朧気な意識の中で見たのは、無機質な白い天井が有るだけだった。(知らない天井だ……) ディミトリの部屋にはアイドルのポスターが張ってある。それが此処には無い。 一瞬、病院かなと考えてみたが違う部屋である事を思い出した。(しまったっ!) ディミトリは息を吐き出すかのように起き出した。あまりの激痛に失神したようだ。 時間にして三十分程度であろうか。自分では平気なつもりだったが、新しい身体は慣れていなかったようだ。(まさか、気を失っていたとは……) 彼はすぐに自分の身体を調べた。左腕の手術跡には包帯が綺麗に巻かれている。 身体から取り出したと思われるものは、アルミホイルに包まれて机の上に置かれていた。 その横には自分の銃が置かれていた。 手にとって見ると弾倉は差し込まれたままだし、薬室には銃弾が装填されたままだった。(使い方を知らなかったとかかな?) 何より目出し帽が取られていて額にタオルが当てられていた事だ。 ディミトリの顔がアオイにバレてしまったようだ。適当な時期まで秘密にして置きたかったがしょうがない。「?」 ディミトリが訳が分からず戸惑っていると、アオイが部屋に入ってきた。 直ぐにディミトリが目を覚ましたことに気がついたようだ。「何故、銃を取り上げなかった?」「……」 彼女は壁に寄りかかったまま黙っている。 自分を脅していた相手が、少年だと分かったので恐怖心が無くなったのであろう。「手術なら終わったわ…… 上着を着たら出ていって頂戴ね……」「……」 彼女はそれだけを言うとディミトリを睨みつけた。「あの…… ありがとう……」「……」 ディミトリは礼を言ってペコリと頭を下げた。彼女はニコリともせず腕を組んだままだった。 銃で脅してきた相手が子供だとは思っていなかったのであろう。 ディミトリは踵を返して部屋から出ていったのだった。彼が持ち込んだ物はバッグの中に詰め込まれてある。 乗ってきた自転車の所まで来て、改めて痛みが残る左腕の包帯を眺めた。丁寧に巻いてある。(轢き逃げ犯とは思えないな…… 今後の事を考えたら俺の口封じをした方が良いだろうに……) どうやら彼女はディミトリのように悪知恵は回らないようだ。(自分だったら銃を奪って、最低でも
「準備が出来たよ」「じゃあ、上着を脱いで背中を向けてちょうだい……」 ディミトリが上着を脱ぐとアオイが息を飲むのが分かった。背中には手術の跡が縦横無尽に走っているからだ。 すべて交通事故の跡なのだが彼女には分からない。それは彼女が入った時には、ディミトリが退院した後だったのだ。「……」 銃を手に持った男が入ってきて、手術しろと言われたら訳アリの男だと分かったのだろう。 手術跡の事は何も聞いてこなかった。「そんなに深くには埋まってないはずだ……」「……」「指で触ると分かるぐらいだからね」「ええ、有るわね……」 アオイは腕を指で押しながら答えた。「皮膚の下、五ミリ程の所に筋肉に載せるような感じで埋まってると思う」「麻酔無しだから相当痛いよ?」「ああ、ある程度は覚悟している……」 ディミトリは自宅から持ってきたナイフを渡した。入念に砥石で研いでおいた奴だ。 手術用のとは比べて切れ味は劣ると思うが、普通の家にある包丁よりはマシなはずだ。「これがバレたら医師免許が取れなくなるわ……」「バレなきゃ良いのさ……」 アオイは少し深呼吸をして、ディミトリの腕にナイフを充てがい力を込めた。 ディミトリの上腕に何か冷たい感覚が走り抜けた。 ホンの数秒遅れで激痛が腕を駆け上がってくる。「そうなったら恨むわよ……」「大丈夫。 人に恨まれるのは生まれた時から慣れている……」 そう訳の分からない事をいった。「……」「グッ……」 アオイの荒い息使いが聞こえてくる。彼女も手術には慣れていないようだ。「麻酔も無しで……」 ブツブツ言いながら手術を続けている。 どんなものかは不明だが、簡易型の超音波検査機にかかるぐらいだ。金属片で有ることは間違いない。(そう言えば、犬の首に埋め込むタイプの盗聴器があると、ロシアの連中に聞いた事があるな……) 体液に含まれる塩を分解して発電するタイプで微弱な電波なら出せるらしい。 それを近くで受信して増幅してから送り届けてくれるすぐれものだ。 諜報機関の技術開発は凄まじい勢いで進化している。信じられないものが盗聴器だったりするのだ。(犬に可能なら人間でも可能か) 自分は犬と同じ扱いなのかと思うと笑いが出てきてしまった。 アオイは腕を切られようとしてるのに、クスクス笑いをするディミトリを不思議そうに
アオイの部屋。 アオイが帰宅して部屋の明かりを点けると、部屋の真ん中にマスクを被った男が居た。「やあっ!」「誰?」「しぃーーーーっ……」 マスクの男はディミトリだ。 彼は静かにしろというように口元に指を当てながら、銃をベッドの方に向けて引き金を引いた。パスッ!「ひぃっ」 軽い音を立てて葵のベッドに有った枕が跳ね上がった。 後、何発撃てるか分からないが減音器は役に立っているようだ。「おもちゃじゃないよ……」 そう言って銃をアオイに向けた。「お金はあんまり持ってないです……」 銃を向けられた葵は怯えている。実社会に置いて実銃を向けられた経験を持つ者は多くないはずだ。 アオイも無機質な銃口を向けられてパニックに成ってしまっている。「まあ、座ろうよ。 君をどうこうしたい訳じゃないんだ……」「……」 ディミトリは部屋の中央にあるテーブルの前に座りながら手招きした。 アオイは大人しくディミトリの前に座った。「あの病院関係者の駐車場で車を見つけてさ……」「……」「お姉さんは医療関係の人何でしょ?」「……」 アオイはコクンという感じで頷いた。「何やってる人なの?」「医学部に在学中の医者の卵です……」 医学生と睨んだ通りだった。次週から始まるインターン研修の為に病院に来ていたのだそうだ。 女は兵部アオイと名乗った。推測した通りだ。ディミトリの銃を恐ろしげにチラチラ見ている。「この写真を見てくれ……」 ディミトリは追跡装置が写っている画像のプリントを見せた。簡易超音波検査機で自分の腕をスキャンした画像だ。 モノクロの画像だが何やら四角いものが写っているのは分かる。「?」「ここに写っている四角い奴を取り出して欲しいんだ」「なんですかコレは?」「腕の中に埋め込まれている」「そういう事でしたら病院に行ってください……」 取り出すということは手術が必要だと理解できたようだ。 まだ、経験が浅いアオイは当然断ってきた。 切除手術など家で気軽に出来るものでは無い。 手術ということは身体にメスを入れる事だ。剥き出しの患部では病原菌に感染しやすくなってしまう。 一般家庭で無菌状態など作り出せないからだ。「それが出来ればそうしてるさ」 ディミトリは説得を続けた。自分では手術が出来ないので仕方がなかった。「私には無理で
手袋をした手でドアをそっと開け、素早く室内に潜り込んだ。 人目に付くのを避ける為に扉は極力静かに閉める。開閉の音や振動は案外響くものだ。 もちろん、目は室内を睨んだままだ。(どうも~お邪魔しま~す) ドアの前でしゃがんで室内の様子を伺った。もし、誰かが居るようならすぐさま脱出する為である。 身体を動かさずに首だけをゆっくりと動かし、人の気配を探っていたディミトリは立ち上がった。(誰も居ないんですよね~) おもむろに室内に足を踏み入れる。 空き巣狙いであれば、室内の物色にかかるところだが今回は違う。 部屋の主に用事がある。なので、部屋の中を調べていく事にする。(さあ、どういう人物が住んでいるのかな?) 誰も居ないことは確認済みだが、静かに部屋の中を移動していく。 ベッドに机にちゃぶ台・タンスと質素な暮らし向きらしかった。余計な装飾品が無い。 トイレや台所も清潔に保たれているようである。(ええ、真面目な人なの?) 室内の本棚には医療関係の本が多かった。それも家庭用ではなく医者の使う専門書の類だ。 中には外国語で書かれた背表紙も見受けられる。(睨んだ通りに医者の卵という事か……) 次にタンスの引き出しを下から開けていく。上から開けると上段の引き出しが邪魔になるからだ。 因みにコレは窃盗犯が行うやり方だ。短時間で家探しが出来るのだ。 ベテランになると五分もあれば一部屋分の家探しが完了するらしい。(むむむっ! コレは……) とある引き出しを開けた時にディミトリの手が止まった。 そして、コレまで見せたことが無い様な険しい顔付きになっていった。「うーむ……」 その引き出しには色とりどりの下着が詰め込まれていたのだ。恐らくアオイのモノであろう。 何となく良い香りがするような気がする。(ををを…… 眼福眼福) 下着入れを開けてしまったディミトリは何故か喜んでしまっている。 一枚取り出して目の前に広げてみたりしていた。しばらくニヤニヤと眺めていたがハッと気がついたことが有るようだ。(いやいやいやいや…… 目的が違うし……) そんな場合では無いと、被りたい衝動を抑え込んで引き出しを元に戻した。 洋の東西を問わず年齢がいくつであろうと、男というのはしょうもない生き物なのだ。(ふん、男関係するものは何も無しか……) ディ